ページの先頭へ

                                            トップページに戻る
少年リスト  映画(邦題)リスト  国別(原題)リスト  年代順リスト

Die Blechtrommel ブリキの太鼓

ドイツ映画 (1979)

第一次世界大戦で敗北したドイツは、バルト海に面した歴史的港湾都市ダンツィヒを失い、そこは、どの国にも属さない自由都市となった。しかし、住民の多くは依然としてドイツ人のままで、ポーランド人や、先住民族であるカシューブの人口比率は低かった。そこに、ドイツ本国ではヒットラーによるナチズムが台頭し、今やグダニスクとなった旧ダンツィヒのドイツ人達は、自分達が大ドイツ帝国の一員なのだと希求するようになる。こうした行動は、グダニスクだけではなく、全ドイツで起こったことで、彼らはナチに協力し、支えることに生きがいを持つようになっていく。しかし、第二次世界大戦の敗北とともに、戦争犯罪はすべてナチのせいで、自分達は無実だったという風潮が一般化する。こうした状況は、環境に左右されやすい、あるいは、強権的な政権に恐怖心を覚える一般市民にとっては、歴史的に見てよくあることに過ぎないと擁護もできるのだが、ギュンター・グラスは、処女作『ブリキの太鼓』(1959)で、そのタブーを破り、オスカルという特異な少年の目を通して、すべての戦争賛同者を強烈に批判して、当時のドイツ社会に大きな衝撃を与えた〔戦後、ドイツ人の多くは、すべてをヒットラーと、それを支えたナチス親衛隊のせいにした。戦争やユダヤに関わる映画の多くが それを踏襲し、一般のドイツ人が、オスカルの父のように、自発的にナチの支援者になっていく状況をあからさまに描いた映画は数少ない〕。

しかし、この一作の存在がギュンター・グラスにノーベル文学賞(1999年)を与えたことを考えると、この痛烈な批判は、ナチに翻弄されたヨーロッパの共感を呼んだに違いない。そして、この小説(三部作)の第1・2部の大半を映画化した『ブリキの太鼓』(1979)が、カンヌのパルム・ドールと米アカデミーの外国語映画賞を受賞したことを思うと〔何れも戦勝国側〕、当時のドイツ社会の非人道性を象徴的に描いたことへの称賛とも受け取れる。というのは、私は、この映画を観て、嫌悪感しか覚えなかったからだ。それは、主人公のオスカルが、意地悪で、自己中心的で、冷たく、計算高い、不快な少年の権化のように思えるから。映画が、どれだけ当時のドイツ社会の抱いていた優越感を寓話的に描いていても、オスカルの一挙手一投足に反感を覚える状態では、そちらの方に目が行き、映画の紹介自体をやめようかと思ったほど。それに、数多くの少年が3人の女性とセックスをしていることを示唆するシーン。決してあからさまな場面ではないが、観ていて気持ちのいいものではない。最後に、ディレクターズ・カット版について。オリジナル版より約20分長いが、それだけの価値があるのか? 『ロード・オブ・ザ・リング』三部作では、エクステンデッド版は、それぞれ、約30分、45分、50分、オリジナル版より長くなっている。『ブリキの太鼓』と違って、順序変更や、削除場面はなく、純粋に追加されていて、そのお陰で、省略された部分が楽しめる。しかし、『ブリキの太鼓』では、17ヶ所ある追加のうち、“あって良かった” と思えたのは、②⑥⑧⑫⑭の5つくらい。④⑩⑭、特に⑮はない方が良かった。なお、翻訳にあたっては、ドイツ語字幕を使用した。

長くなるので、年ごとの箇条書きとする。
1)1899年:オスカルの祖母アナが、ひょんなことから、政治的放火犯に妊娠させられる
2)1918年より少し前:オスカルの母アグネスが、いとこのヤンと親しくなる
3)1918年:オスカルの母が、軍病院のコックのアルフレートと親しくなる。アルフレートは、その後、食料品店を開く
4)1924年9月12日:オスカルが生まれる
5)1927年:3歳の誕生日に、オスカルは成長をやめると決断する。誕生祝いに太鼓をもらう。その後、悲鳴でガラスを割ることができると知る
6)1930年:6歳、小学校の初日、問題を起こして登校を拒否される
7)1937年以前:オスカルは母アグネスとヤンの不倫を目撃する
8)1937年:オスカルは両親と一緒に観に行ったサーカスで、団長のベブラと話す
9)1938年:ダンツィヒ・ナチの局長主催の大会が、オスカルの太鼓で滅茶滅茶になる。同じ年、アグネスは、ヤンの子を宿し、今まで嫌いだった魚を山ほど食べ、最後は、自殺する
10)1938年11月:オスカルが太鼓を買っていたユダヤ人が自殺する(14歳)
11)1939年9月:グダニスクのポーランド郵便局でドイツ軍との戦闘が始まり、ヤンが射殺される(14歳)
12)1940年?:祖母アナが、アルフレートの店の手伝いにマリアという少女を連れて来る。オスカルとマリアは海水浴で親しくなり、最初のセックスをする(16歳)
13)1940年末-41年初頃:マリアはアルフレートに妊娠させられる
14)1941年末:マリアに子供が生まれ、オスカルは八百屋の奥さんと2度目のセックスをする(17歳)
15)1942年-44年:オスカルはベブラ団長と再会、前線兵士の慰問に同行する。そこで読心術のロスヴィータ嬢と恋に落ちる
16)1944年6月6日のノルマンディー上陸作戦後:ロスヴィータと3回目のセックスをした翌朝、彼女はアメリカ軍の砲弾で死ぬ
17)1944年秋?:オスカルはダンツィヒに戻る。マリアの子供は3歳になっている(20歳)
18)1945年3月:赤軍がダンツィヒを攻撃し、アルフレートはアパートの地下室で射殺される。彼の埋葬の時、オスカルは成長を再開する決断する
19)1945年5月以降:オスカルは祖母アナと別れ、マリアと一緒にドイツに帰る

3歳で成長を止めたオスカル役は、スイス生まれのダーフィト・ベンネント(David Bennent)。1966年9月9日生まれなので、撮影の行われた1978年には11歳。彼は、幼い頃から発育不良に苦しんでいて11歳でも6歳くらいにしか見えなかったと書かれている。現在でも身長は155cmしかない。最初の作品は、TV映画『Die Eltern』(1974)。次が、『Mein Onkel Theodor oder Wie man viel Geld im Schlaf verdient』(1975)。4年飛んで、『ブリキの太鼓』の後は、5年飛んで『Canicule』(1984)。現在でも、俳優として活躍している。下の写真は、左から4歳の時、『Die Eltern』、『Canicule』。ここまでが子役時代。一番右は最新作の『The Obelisk』(2023)。

あらすじ

オスカルのナレーションが入る。「僕がこの世に生まれるずっと前から始めよう。僕の可哀想なママが生を享(う)けた時、僕の祖母アナ・ブロンスキーは何も知らない若い娘で〔撮影時28歳なので、「何も知らない若い娘」と言うのは無理がある〕、ジャガイモ畑の端に、スカートを4枚重ね履きして座っていた。時は1899年。場所は、カスフビア〔ポーランド中央の北端部〕。地平線で何かが動いていた」。1人の男を、2人の男が追っている。男は、アナを見つけると、焚き火で焼いたジャガイモを食べているアナに向かって走ってくる(1枚目の写真、矢印)。そして、アナの前にうつ伏せなって横になると、「お願いだ」と、助けてくれるよう頼む。親切なアナは、男が警官に追われているのを知ると、4枚のスカートをめくり上げて男を中に隠す(2枚目の写真)。そこに、2人の警官がやってきて、コリャイチェク(姓)という放火犯を探していると言うが、放火犯にもかかわらずアナは、コリャイチェクをスカートの中に隠したことを黙っている。雨が降って来て警官が去ると、アナが不自然に動き始め、思わず叫び声を上げる。しばらくしてアナが立ち上がってスカートをめくると、コリャイチェクは いつの間にか仰向けになっていて(3枚目の写真)、体を起こしながら、ズボンのチャックを閉める。そして、ジャガイモの入った籠2つのうちの小さい方の1個を持って、アナについて行く。「僕の祖父は連続放火犯だった。なぜかというと、その当時、西プロイセンの至る所で、製材所は、過激な民族主義的なポーランド人にとって火口(ほくち)になっていたから」。
  
  
  

ヨーゼフ(名)とアナは、筏に隠れ、そこでほぼ1年を過ごした」(1枚目の写真、矢印は、あの時に妊娠させられた女の赤ちゃんアグネス)。すると、そこに、騎馬の警官1名と、徒歩の警官3名が近づいてくるのが見え、ヨーゼフは筏の上を走って逃げる、それに対して4人の警官が発砲する(2枚目の写真)。ヨーゼフは筏の端まで行くと湖か川に飛び込む。「飛び込んだ後、コリャイチェクは二度と現れなかった。溺死したという者もいたし、アメリカに逃げ、百万長者になったという者もいた」「僕の祖母はと言えば、その後も、4枚のスカートを履いて座り、市場に持って来た物を売っていた」(3枚目の写真、矢印は少女になったアグネス)。アナが売っているのは生きたガチョウ。
  
  
  

そして、彼女は歳を取った。第一次世界大戦が始まり、カチョウの代わりにカブだけになった」(1枚目の写真、矢印は大人になったアグネス)「僕の可哀想なママも 大きくなった。彼女は、いとこのヤンのことが心配だった。ヤンは戦争に行かないといけなかった」。ヤンは入隊時の健康チェックで撥ねられ、徴兵されずに済んだ。そして、軍の施設の入口で待っていたアグネスに朗報を伝えると、彼女は、ヤンに抱き着いて喜ぶ(2枚目の写真)。「可哀想なママは、その時、初めてヤンを抱いた。後になって、彼女が彼のことを これほど幸せに思ったかどうかは分からない。この若気の愛は、アルフレート・マツェラートが現われるまで曇らなかった」。ここで、病院で調理人として働いている中年のアルフレートと、看護婦のアグネスが映る〔原作によれば1918年〕。「彼は、ドイツのライン地方出身で、シルバーハンマー病院〔原作によれば軍病院〕では、そのライン風の陽気さですべての看護婦に好かれていた」。アルフレートは、好きになったアグネスに、スープを手ずから飲ませている(3枚目の写真)。それを見た年配の女性が、アルフレートの理解できない言葉で何か言う。アルフレートは、アグネスに、「彼女、何て言ったんだい?」と訊く。アグネスは、恥ずかしそうに、「あなたは、生まれながらのシェフだって。スープに愛情を込められるから」と言う。「とうとう、戦争は終った。グダニスクは自由都市になった〔ヴェルサイユ条約(1919年6月28日)により、ドイツ領→どの国にも属さない都市(ポーランド国内にあってもポーランド領ではない)〕〔公用語はドイツ語とポーランド語、人口の95%はドイツ人、少数民族としてカシューブ人とポーランド人〕ポーランド人は、専用の郵便局を持つことができた。切手収集が趣味のヤンは、そこで働いた。アルフレートも、グダニスクに留まった」。市場で会ったヤンは、アルフレートに、「私たちカシューブ人はずっとここに住んでたんだ。ポーランド人や、ドイツ人よりも、ずっと以前から」と、少数民族の誇りを込めて、自慢げに言う〔①グダニスクに初めて砦が築かれたのは980年頃。ポーランド王国のミェシュコ1世によるもの。②カシューブ人の漁村グディニャの名前が最初に現れるのは1253年で、これ以後、近くのグダニスクにも移り住んだと推定される。③グダニスクは1308年にドイツ騎士団によって占領された→これから見ると、ヤンの発言は間違いで、ポーランド人、カシューブ人、ドイツ人の順〕。アルフレートは、「それは昔の話だ。今は、ドイツ人もポーランド人もカシューブ人も仲良く平和に暮らしている」と、人口比95%の鷹揚さから、平和を強調する。それを、アナとアグネスが見ている。アグネス:「そうかしら?」。アナ:「今に分かるわ」。アグネスは、アルフレートの横に寄って行く(4枚目の写真)。「2人の著しく異なる男が、ママに同じ感情を抱き、仲良くなった。この三位一体が、僕のこの世に産み出した」。
  
  
  
  

太陽は乙女座にあった。海王星は第10ハウスに位置し、僕を奇跡と欺瞞の間でつなぎ止めた〔あるサイトには、「乙女座生まれの人は、夢見がちな理想主義者ですが、社会通念や道徳を重んじ、人の役に立ちたいと考える傾向にあるようです。周囲の変化に敏感で、細やかな気遣いができ、親切で思いやりがある優しい人」と書いてあったが、オスカルとは正反対。一方、海王星は「スピリチュアリティや癒しを司る天体」で、第10ハウスは「社会と達成の室」。第10ハウスに海王星がある人は、「一般的な職業や社会的地位とは直結しにくいことを仕事に選びやすいので、良くも悪くも自分の実力と評価に差が出やすい傾向があります」と書いてあったが、こちらはオスカルにぴったり〕。そして、アグネスからオスカルが産まれる過程が映される。「僕が最初に目にしたのは60Wの電球だった〔映画でも電球の周りに1匹の蛾が飛んでいる。原作では、これが太鼓(電球)とバチ(蛾)に比喩されているが、映画では、せっかく映った蛾について全く言及していない〕。産まれたばかりのオスカルは、11歳の俳優が演じているので、赤ちゃんとはとても思えない(1枚目の写真)〔知性が既に発達していることを示している〕。「僕は、深紅色の赤ちゃんを装いながら、両親の最初の言葉を、批判的に聞いていた」。母であるアグネスが最初に言った言葉は、「オスカルが3歳になったら、ブリキの太鼓をあげないと」(2枚目の写真)。「ブリキの太鼓が約束されたので、僕は、子宮に戻りたいという強い願望を実行しないことにした」「だから、3歳の誕生日が待ちきれなかった」。そして、画面は3歳の誕生日のお祝いの日に変わる。ロウソクが3本立ったバースデーケーキの後ろにいるオスカルは、念願叶って太鼓のバチを嬉しそうに持っている(3枚目の写真)。お祝いの場には、ヤンは当然として、アルフレートが病院の料理長を辞めて食料品店を開いているので、後で登場するパン屋シェフラーとその妻のグレッチェンと、八百屋グレフとその妻フラウも呼ばれている。
  
  
  

パーティで、ビールが足りなくなったので、アルフレートが地下室の蓋を開け、25本のビールを持って階段を上がって来る(1枚目の写真)。一方、食堂では、ボーイスカウトの隊長でもあるグレフは、オスカルをドア枠に立たせ、身長の所にナイフで線を引き、「12.9.27」(1927年9月12日)と鉛筆で書き、「来年、君はもっと大きくなるぞ」と言う(2枚目の写真)。大人たちは、ビールを飲みながらトランプを始め、テーブルの下にもぐったオスカルは、夫でもないヤンが、靴を脱いだ足を、母アグネスの股の間に入れ、母もそれを喜んでいるのを見て幻滅する。「その日、大人の世界と 僕の将来をじっくり考え、ここで成長をやめ、3歳の小人(こびと)のままでいようと決めた」。そして、地下室の蓋が開いたままになっているのを見つけると、太鼓を首から外して手に持つと、階段を降りて行き、太鼓を大事そうに階段の下の袋の上に置き〔太鼓が赤と白なのは、ポーランドの国旗の色〕、階段を8段登り、そこでは高過ぎて死んでしまうかもしれないので、2段降り、そこから 悲鳴を上げながら飛び降りる。悲鳴を聞いて母が真っ先に駆け付けると、オスカルは、地下室の土の床の上に大の字になって倒れていた(3枚目の写真)。
  
  
  

八百屋とパン屋が階段を駆け下りて、八百屋がオスカルを抱き上げ、パン屋がサポートして階段を上る。遅れてやってきたアルフレートは、蓋を閉め忘れたことをアグネスに強く咎められる〔今後も、事ある度に責められる〕。廊下ではヤンが待っていて、パン屋の代わりに、八百屋と一緒にオスカルを抱く(1枚目の写真、顔は血まみれ)。呼ばれて開けつけた医者は、軽い脳震盪で、2週間も寝ていれば立てるようになると言う(2枚目の写真、右はヤン)。「転落は完全に成功した。これからは、こう言われるようになる。『3歳の誕生日にオスカルは階段から落ちた。骨は折れなかったが、成長が止まってしまった』」。オスカルが回復してからしばらく経ったある日、オスカルが太鼓を叩きながら店に帰ってくると、母が振り子の壁時計の文字盤のガラスを磨き、その背後で、ヤンがじっと母を見つめている。このシーンは、ディレクターズ・カット版になって復活した最初のシーン。すると、そこに入ってきたオスカルが、ヤンの切手のコレクションをバチで突き始める。それを見たヤンは、すぐに止めさせ、一番貴重な切手をオスカルに見せる(3枚目の写真、最初の復活シーンなのでの印付き)。この短いシーンは、アルフレートが、「アンズタケが届いたぞ」の声で終わる。
  
  
  

オスカルが、太鼓を叩きながら食堂に行こうとすると、食堂から出てきたアルフレートが、「アパートの中でやるな! それに、太鼓が壊れとる。ケガするじゃないか」と叱る。それでも止めないと、「太鼓を放せ! お前がケガしたら、また俺のせいになる!」と言い、太鼓の中央の裂けて尖った部分に触れる。怒ったオスカルが太鼓を引っ張ったので、アルフレートは指の先を切る。今度は、母がやって来て、太鼓とチョコレートを交換しようと提案するが、それも拒否。ヤンは、太鼓を2人に渡したら、明日、新しい太鼓を持って来ると言うが、それも拒否。我慢の限界を越えたアルフレートは、オスカルの太鼓を持つと、力任せに引っ張る(1枚目の写真)。太鼓を取られる寸前になったオスカルは、思いきり大声で悲鳴を上げる(2枚目の写真)。すると、母が磨いていた壁時計の文字盤のガラスが粉々に割れる(3枚目の写真)。4人は、驚いて時計の周りに集まる。「僕が、とても甲高い悲鳴を上げられることが分かったので、誰も僕の太鼓を取り上げようとはしなくなった」。
  
  
  

次は、3枚とも、ディレクターズ・カット版のみの映像(写真にはの印)。オスカルは、時計の文字盤のガラスが割れたのは、何かの偶然なのか、自分の悲鳴が原因なのか確かめようと、近くの路地に行き、グラスを台の上に置き(1枚目の写真、矢印)、至近距離からガラスに向けて悲鳴を上げる。すると、今度もガラスの上部が割れる(2枚目の写真、矢印)。その悲鳴で集まってきた近所の子供たちが、割れたグラスを不思議そうに見る(3枚目の写真、矢印は分かりにくいがグラス)。中に1人だけいた女の子が 割れたグラスをつかむと、地面に叩きつけて粉々にする。オスカルは、ヤンに買ってもらった新しい太鼓を叩きながら歩き出す。
  
  
  

この後は、スムースにオリジナル版とつながり、太鼓を叩きながら歩くオスカルの後を、子供たちが一列になり、歌いながら付いて行く(1枚目の写真、矢印はオスカル)。歌が終わってオスカルが悲鳴を上げると、街路灯のガラスが割れる(2枚目の写真、矢印)。次のシーンは、鉤十字の上下に「ドイツよ、目覚めよ(DEUTSCHLAND ERWACHE)」と書かれた旗を先頭に、親ドイツ派の集団が演奏しながら歩いて行くが、その直前をオスカルの一団が妨害するように渡って行く(3枚目の写真、矢印はオスカル)〔この集団について調べたが、名称等など何も判明しなかった〕
  
  
  

原作によれば、6歳の時〔先のシーンから3年経った〕、オスカルは学校に通うことになり、他の新入生と一緒に、入学祝いの円錐状のシュールテューテと呼ばれるプレゼントを渡されて記念写真(1枚目の写真)。教室にはお母さん達が廊下側と後ろの壁に沿って並んで立ち、そこに、優しそうな中年の女性教師が来て、「お早う、子供たち」と挨拶し、子供達もそれになごやかに応える。教師が、これからのことについて話し始めると、オスカルが太鼓を叩き始める。教師は、オスカルに太鼓を棚に置くよう優しく指示するが、オスカルは 太鼓を取り上げようとした教師から太鼓を奪うと、机の下に隠す。教師は、「悪い子ね」と言っただけで、全員に向かってスケジュールを話し始めるが、そこでまた、オスカルが太鼓を叩き始める(2枚目の写真)。「止めなさい、オスカル!」。オスカルは、ますます激しく叩く。教師が、太鼓を取り上げようとすると、オスカルは窓に向かって悲鳴を上げる。すると、オスカルの正面にあった窓ガラスが砕け散る(3枚目の写真、)。このシーンは、原作にはあるが、オリジナル版では削られた。
  
  
  

オリジナル版では、この③の瞬間がないだけで、すぐに教師が木の鞭を持ってオスカルに向かうシーンになる。③の時には鞭を持っていなかったので、ガラスを割ったので、鞭を取りに行き、再度戻って来たことになる(1枚目の写真)。そして、鞭でオスカルの机を2回叩く。すると、オスカルは教師に向かって悲鳴を上げ始める(2枚目の写真)、眼鏡のレンズが粉々になる(3枚目の写真)。教師は、悲鳴を上げ、オスカルと母を追い出す。
  
  
  

母はさっそく かかりつけ医に相談に行く。医者は、「奇妙ですな」と2回繰り返した後で、「今、何歳ですか?」と訊く。「6歳です」(1枚目の写真)。「いつ、階段から落ちました?」〔その時、自分が診たのだから、カルテに書いてあるハズ〕。「3年前です」。「背骨を診てみましょう」。しかし、オスカルは太鼓を放さないので、服を脱がせることもできない。看護婦も母も失敗したので、医師が太鼓を取ろうとすると、オスカルが悲鳴を上げる。長時間にわたる悲鳴で、医師の診察室の棚の上に並んでいたガラスの標本瓶がすべて割れ、中身の液浸標本がホルマリンの水溶液ごと床に散乱する(2枚目の写真)。しかし、医師は怒るどころか、「すごい!」と2回繰り返した後で、「この声について、あなたの合意が得られれば学会誌に報告します」と言う〔原作では、教授職を狙った売名行為で、オスカルが成長しないことに関しては無視したことになっている〕。それから、何ヶ月か経ち、店のカウンターに座った母は、オスカルに、学会誌に掲載された論文の一部を読んで聞かせる。「この声の力は、高音域で非常に破壊的であるため、幼いオスカル・マツェラートの喉頭後方が特殊な形態がある可能性が考えられる。ただ、声帯の偶発的な発達の可能性も排除できない」(3枚目の写真、矢印は学会誌)。それを聞いたアナは、「医者は、この子がなぜ成長しないか、書いてるのかい?」とアグネスに訊くと、彼女は、地下室の蓋を閉め忘れたせいだと、その場にいた夫を批判する。
  
  
  

次も、すべて、ディレクターズ・カット版のみの映像(写真にはの印付き)の印)。パン屋の妻のグレッチェンが、学校に行けなくなったオスカルにアルファベットを教えている。「A,B,C,D,E、頭が痛いや。F,G,H,I,J.K、お医者さんが来た。L,M,N,O、嬉しいな。P,Q,R,S,T、良くなったぞ。U,V,W,X、これなら間違えない。Y,Z、じゃあ眠ろう」〔今でも使われている 教え方〕。しかし、不真面目なオスカルは、お菓子を食べるのに夢中で 聞いているようには思えない(1枚目の写真)。欲しいだけ食べると、今度は、小さな棚を開け、中の本を探し始める。そして、「あった!」。グレッチェンは、「何も聞いてないじゃないの」と、オスカルの態度を批判する。オスカルは、探し当てた本のページを開き、グレッチェンの膝の上に置くと、「オスカル、読む!」とグレッチェンに要求する。「これは、あなた向きじゃないわ。ラスプーチンよ」〔この時代には、淫乱な “怪僧ラスプーチン” という間違ったイメージが流布していた〕。そのページの挿絵の下には、「Rasputin feiert Orgien(ラスプーチンが乱交パーティーで浮かれ騒ぐ)」と書いてある(2枚目の写真)。アルファベットが読めないオスカルは、「Orgien」を指して「オスカル」と言い、グレッチェンは正しい発音を教えるが、オスカルは無視して、「Orgien、オスカル、読んで!」と要求する。グレッチェンは、仕方なく読み始める。「『私から発せられるものは、罪を洗い流す純粋な光です』とラスプーチンは言った。宮廷の貴婦人たちが預言者に飛びついたのは、いわば当然のことだった」。グレッチェンが読み続けるにつれ、オスカルの想像力は、挿絵から実際の光景を思い描く(3枚目の写真)。そして、いつものナレーションではなく、観客に向かって直接語りかける。「あなたは驚かれるしょう。この子は、こんな環境の中で、自ら学ばねばならなかったとはと! 僕の可哀想なママとグレッチェンがラスプーチンに魅惑されている間に、僕は、ゲーテを見い出した。『親和力』〔愛という “親和力” に支配された4人の男女の悲劇〕だ。だから僕は、2つの本が1つに併合するまで ラスプーチンとゲーテの間で引き裂かれて精神的に成長した」〔この章は、原作の「Rasputin und das ABC(ラスプーチンとABC)」の章に該当するが、映画の流れからは違和感があり、故にオリジナル版からは外されたのであろう。なぜ、復活させる必要があったのかは分からない〕
  
  
  

オスカルは、入学前は、“悲鳴によるガラス割り” で人気者だったが、入学1日目に問題を起こし 学校から追い出されたことから、子供たちの見る目が以前とは違う。オスカルが、集まって遊んでいるところにオスカルが入って行く(1枚目の写真)。1人だけいる女の子は、横で作業をしていた男性に、「ハイランド伯父さん、スープに唾吐いて。浮かんでくるか見たいの」と、変なことを頼む。そこで伯父は、スープ鍋に唾を吐き入れる。一方、奥から飛び出てきた男の子は、「カエル、2匹見つけた」と言って鍋までくると、そのまま生きたカエルを鍋に投げ込む。すると、スープ作りをしていた男の子の1人が立ち上がり、スープに向かっておしっこをかける(2枚目の写真、矢印は小便)。オスカルが、それを見ながら通り過ぎようとすると、女の子が、「オスカルに味見させよう!」と叫ぶ。オスカルは逃げるが、多勢に無勢で捕まってしまい、鼻をつままれて口を開けさせられ、スプーンで3杯気持ちの悪いスープを飲まされる(3枚目の写真、矢印は鍋)。
  
  
  

通りも路地裏も、僕には狭くなり過ぎた。僕は、スープによる迫害を逃れるため街に行くことにした。一人か、ママと一緒に」。2人は、路面電車に乗ってポーランド郵便・電信局(Polski Urzad Pocztowo Telegraficzny)まで行く。ヤンに会うためだ。オスカルは、入口を入ったところで局員のコビエラに壊れた太鼓を見せる〔これが、コビエラの初登場場面だが、彼はオスカルの太鼓の世話役なので、オスカルが懐(なつ)いている〕。ヤンは、時間を打ち合わせてあったのか、アグネスが来るのを待っていて、恋人のように 手を取ってキスする。オスカルは、前を歩く2人の間に割り込み、3人仲良く手をつないで歩く(1枚目の写真)。すると、ヤンが、「もう行かないと。やることが一杯あるんだ。さよなら、アグネス」と言うと、新しい太鼓を買うお金をオスカルに渡す。母子が向かった先は、ユダヤ人マルクスの玩具屋。オスカルの太鼓はいつもここで買うので、マルクスも2人を大歓迎。その裏には、独身のマルクスの アグネスへの片思いがある。だから、アグネスのために取っておいた絹のストッキング3足を半グルデンでいいと言うが、どのくらい安いのかは戦前のグルデンの価値が分からないので見当がつかない。話が一段落すると、今度はオスカルに向かって、「王子様を幸せにするには、どうすればいいのかな? 新しい太鼓だね?」と声をかけ、オスカルはにっこりする(2枚目の写真)。マルクスは棚の上に積んである太鼓の中から、オスカルに自分で取らせる。その時、母が、「オスカルを30分預かってもらえますか? 大事な用事があるんです」と言う。マルクスは、「王子様は、あなたの用が済むまで、ここで待っています。毎週木曜日のように」と言う〔この表現だと、オスカルは常に太鼓を壊し、毎週母が(時にはオスカルと一緒に)この店まで新しい太鼓を買いに来ていたことになる〕。母は店を走って出て行き、マルクスは、愛する人が出て行った方を見たまま、身動きせずに立っている。それを見たオスカルは、母がどこに行くのか確かめようと思い立つ(3枚目の写真、矢印)。
  
  
  

オスカルは、母に気付かれないように、距離を置いて後をつける。母の後をつけてきたオスカルは、母が入って行った通りの手前の煉瓦壁に隠れて様子を窺う。すると、向かい側の建物の3階の窓から、何とヤンが覗いている(1枚目の写真、矢印)〔母は、秘密裏にヤンと会いに行った〕。この場面、唯一、撮影場所を特定することができた。グーグルでは、建物が見えないので、別のサイトから持ってきたのが2枚の写真。黄色の点線の枠内が、1枚目の写真に写っている〔ここは、グダニスクのLawendowaという通りの南端に近い辺り〕。母が入って行った怪しいホテルの部屋では、ヤンとの激しいセックスが始まり、ひょっとしたら、開け放った窓から母の叫び声がオスカルまで届いたかもしれない。オスカルは、怒りに燃えた目で、近くの時計塔を見上げる〔360m南にある、今ではグダニスク博物館になっている建物の時計塔。因みに、オスカルの立っている場所からは、手間にある(210m南)の聖マリア教会の巨大な鐘楼が正面に見えるが、時計塔は見えない〕。オスカルは、時計塔の尖塔の先端の最も高い地点まで登って行くと、太鼓を叩きながら大きな悲鳴を上げる。すると、塔の下にあったアーチ型の通路が真ん中に開いた建物〔所在地不明、塔の近くにはない〕の2階の窓ガラスすべてが粉々になってアーチ型の通路に散乱し、通行できなくなる(3枚目の写真、点線の四角は割れたガラス片)。窓から身を乗り出した下着姿の母は、オスカルが叩き始めた太鼓の音を聞き、自分の恥ずべき行為を知られたと悟る(4枚目の写真)〔この窓から、時計塔は見えない…〕。映像は、塔の天辺から太鼓を叩き続けるオスカルからカメラを上に向けて行き、隣に建つ聖マリア教会の鐘楼を映す。ここで、ラジオから流れるヒットラーの声が入る。「ダンツィヒ〔グダニスクのドイツ語表記〕はドイツの都市だったし、今もそうだ」。
  
  
  
  

場面は、サーカスに変わる。オスカルも両親と一緒に嬉しそうに観ている。メインは小人症のため子供のように小さい団長によるグラスハープ(1枚目の写真)。様々な大きさや形のワイングラスに、異なった量の水を入れ、縁を指で軽くこすることで作り出す澄んだメロディーだ。サーカスが終わると、オスカルは団長に会いに行く。オスカルを見た団長は、「何と、最近は、3歳で成長を止めるのか」と、冗談ぽく言うと、胸に手を当て、「ベブラ。私の名前」と言って、頭を下げる。そして、「私は、10歳の誕生日で成長を止めた」とも。オスカルは、手を差し出し、握手しながら自分の名前を言う。「親愛なるオスカル、君は、今14か15歳かな?」。「12歳半」(2枚目の写真)〔1937年3月頃になる〕。「信じられない! 君は、私が何歳だと思うね?」。「35歳」。「お世辞がうまいな。8月には53歳になる。君のお祖父さんだな」。そう言うと、「君も芸術家かな?」と訊く。オスカルは、「そうじゃないけど…」と言うと、太鼓を叩き、悲鳴を上げる。すると、近くに吊るしてあった電球が3個割れる。「これも、芸術の一種かも」。それを見た団長は感激し、オスカルと再度握手し、「素晴らしい! 是非、私たちに加わって欲しい。是非とも」と 入団を勧誘する(3枚目の写真)。オスカルは、観客でいる方がいいと断る。団長はあきらめきれずに説得するが、そこに、両親がオスカルを探しに来たので、次の機会に期待して別れる。
  
  
  

次のシーンは、ヤンがオスカルのアパートのドアの前にいると、同じアパートに住む3人の子供が、ナチの小旗を掲げたり、右腕を上げて、「ハイル・ヒットラー(ヒットラー万歳)」と声をかけ、ヤンは嫌な思いをする〔手には、オスカル用に買ってきた太鼓を持っている〕。一方、オスカルのアパートでは、アルフレートがラジオを買って来て、ピアノの上に置き、それを見たアグネスが喜んで夫に抱き着く(1枚目の写真、矢印はヒットラーの写真、ラジオの右はベートーベンの絵)。アルフレートは、ピアノの上が混みあってきたので、ベートーベンの絵を片付け、代わりに、ヒットラーの写真を真ん中に置く。オスカルがドアを開けると、そこにはヤンがいた。ヤンは、「お早う、オスカル」と言って、太鼓を渡す。ヤンが部屋に入って行くと、アルフレートがナチのSSの制服を着て、「巻きゲートルは、すぐ滑り落ちる。編み上げ靴が要る」と、妻にグチをこぼしている。「そんなお金ないわ」。「せめて、革のゲートルだ! これでは、みっともない!」。ヤンは、「観兵式に行くのか?」と訊く。「ああ、大集会だ。局長〔Amtsleiter〕のルーブサックが来る。これは歴史的な出来事だ。傍観してちゃいかん。君も、参加しろ」。アルフレートはそう言うと、ヤンが持っていたポーランド語の新聞を批判し、「Danziger Vorposten(辺境の植民地)」〔ダンツィヒのナチ新聞〕を読むべきだと注意するが、ヤンは、「僕はポーランド人だ」と、明確に否定する。アルフレートは、こうして、3人を残して出掛けて行く(2枚目の写真)。この先は、短い、ディレクターズ・カット版の5番目。アグネスは、撤去されたベートーベンの絵を、別なところに飾り、それをヤンに見せる(3枚目の写真、矢印、〔ただ、ベートーベンもドイツ人なので、これがポーランド人のショパンなら、ヤンも嬉しかったろうに。だから、このシーンに意味はない〕。このあと、ピアノの鍵盤の蓋に座ったオスカルが、ヤンを指して、「青だ〔Blau〕! 青い目。オスカルも」と言う〔オスカルは、ヤンの子供だと言いたい?〕。ヤンは、「ブロンスキーの家族〔祖母と母の家系〕も青い目だ」と言うと、オスカルの手を取り、「僕たちは、同じなんだ」と熱を込めて言う。アグネスがストップをかけると、「彼が真実を知らないのには、もう耐えられない」と彼女に言う〔これは、オスカルがヤンの子だと言いたいのか?〕
  
  
  

映画の中で最も多くのエキストラを使った盛大で面白い場面。最初は、ダンツィヒ・ナチのルーブサック局長が鼓舞演説を行う。その中で最も重要な言葉は、「恥ずべき命令〔ヴェルサイユ条約〕により、我々が最愛の祖国ドイツから引き離されて以来、それは心からの願いだった。我々は帝国(Reich)〔1938 年 3 月のオーストリア併合後、大ドイツ帝国(Großdeutsches Reich)という表現が使われた〕への復帰を望む」。この言葉に呼応して、大群衆から、一斉に、「ハイル(万歳)」の声が何度も上がり、ナチの小旗が振られる。局長は、ポーランドのことを貶す発言を繰り返した後で、総統からの使者が間もなく到着されると告げ、右腕を高く掲げ、「ジーク・ハイル(勝利万歳)!」と何度も叫び(1枚目の写真)、そこに集まった全員も同じように手を掲げ、同じ言葉をくり返す。そして、ヒトラーユーゲントによるトランペットと太鼓が吹奏される中、使者を乗せたジープが到着する。後部座席にふんぞり返って乗っていた使者の階級章は「Befehlsleiter」〔NSDAP(ナチ党)の最高位に近い役職〕。使者は、局長の正面の “両側にぎっしり支持者が立ち並び、右腕を掲げた通路” の正面でジープを降りると、そのまま真っ直ぐ局長に向かって歩き出す(2枚目の写真)。一方、その頃、オスカルは、ヒトラーユーゲントの演奏隊の中に突き出た “木の板で一部囲まれた仕切り” の中にいた。そして、ヒトラーユーゲントの太鼓に合わせ、違ったテンポで太鼓を叩き始める(3枚目の写真)〔本物の太鼓と違い、ブリキの太鼓なので音が甲高い〕。まず最初に調子を狂わされたのは、太鼓を打つヒトラーユーゲント。すると、次が横笛とトランペット。そのうち、大人の吹奏団を含めて 曲が混乱し、最後には 「美しく青きドナウ」のワルツに変わる。それを聞いた参列者は、次々と踊り始める(4枚目の写真)。局長だけが右腕を上げ続けるが、使者はワルツに阻まれてどこかに消えてしまい、収拾がつかなくなる。そして、そこに突然降り出した激しい雨。参加者は逃げ出し、使者はジープに走って戻る。豪雨の中、地団太を踏んで悔しがっているのは局長一人。式典は、散々な結末となった。
  
  
  
  

オスカル一家とヤンが、グダニスク郊外の海岸で休日を過ごしている(1枚目の写真)。破れたストッキングを脱ぐのを手伝っているのはヤン。オスカルはそれを批判的な目で見ている。アルフレートは、2人の行動を止めもせず、逆に、にこやかな顔でカメラを向ける。そのしばらくあとのシーン。4人が砂浜を歩いていると、砂浜から突き出た場所で、1人の漁師が 海に入れたロープを握っている。興味を持ったアグネスは、オスカルと一緒に漁師に近づいて行く。アグネスは、「物干し用のロープで何が獲れるの? 魚? それとも古い靴?」と訊く。漁師は、「じゃあ、見てみようかな」と言うと、ロープを引き上げる。ロープの先に結んであったのは、死んだ馬の頭。そのあちこちから、中に入ったウナギが出てくる(2枚目の写真)。それを見たアグネスは、あまりの気持ち悪さに、何度も吐く(3枚目の写真、矢印)。
  
  
  

アルフレートは漁師から3匹のウナギを買ってアパートに戻る〔原作では4匹〕。そして、ウナギを掴んで まな板に乗せながら、「あいつは1.5欲しがってたけど、俺は1グルデンしかやらんかった」と自慢しながら、首を落としていく。切り終わった後、3匹のウナギの首が動いているのがキモイ。それを、オスカルは、至近距離から、平気な顔で見ながら、パンを食べている。しばらくして、ウナギ料理が出来上がり、アルフレートが自慢げにテーブルに持って来る。それを見たアグネスは、「そのウナギ、私が食べると思わないでね。これからは、どんな魚も食べないわ」と拒絶。「今まで、平気で食べてたじゃないか」。そう言うと、一口食べてみろと、スプーンに入れた料理をアグネスに食べさせようとするが、アグネスは逃げ回る(2枚目の写真)。アルフレートとアグネスが言い争っている間に、オスカルは隣の寝室にある戸棚の中に隠れる。しばらくすると、アルフレートに乱暴に扱われたアグネスが泣きながら寝室に逃げてきて、ベッドの上にうつ伏せに身を投げる。そこに、アルフレートから アグネスを落ち着かせてくれと頼まれたヤンが入って来る。ヤンは、泣き声をあげているアグネスの右側に横たわると、優しく肩から背中へと手で撫で、お尻までくると、手をスカートの中に入れる。しばらくすると、アグネスが顔を上げて小さな声で叫んだので、ヤンが何らかの前戯を始めたことが分かる(3枚目の写真)〔これは、棚に隠れたオスカルの目から見た映像〕。しばらくすると、アグネスは泣くのを止め、快感にうめき声をあげ出し、見るに見かねたオスカルは扉を閉める。それから、少なくとも15分以上の時間が経ち、料理が冷めてからアグネスが食堂に現れる。そして、何も言わずに席に座ると、自分の皿を横に置き、ウナギ料理を盛った大皿を自分の前に置くと、それを貪(むさぼ)るように食べ始める(4枚目の写真、矢印)。アルフレートが、「温めようか?」と言っても、無言のまま食べ続ける。まるで、人が変わったように。
  
  
  
  

次のシーンは、ユダヤ人マルクスの玩具屋。マルクスは、ヤンに関わることは危険なので、アルフレートと一緒にいるようアグネスを説得する〔アグネスが、何かを話したから?〕。そして、もしアルフレートが嫌なら、自分と一緒にロンドンに行こうと誘う。しかし、マルクスの “一度きりの必死の求愛” はあっさりと断られてしまう。そのあと、アグネスは教会を訪れ〔オスカルは、玩具屋からずっと一緒〕、オスカルには何も言わずに、すぐに告解室に入ってしまう〔このところ、母の様子がおかしい〕。オスカルは、何もすることがなくつまらないので、イスを祭壇に寄せると、祭壇を上り、マリア像の横にいる天使の首にブリキの太鼓を掛け、両手の空隙にバチを差し込む。そして、「叩けよ」と声をかける(1枚目の写真)。彫像が何もしないと、天使の頬を叩いて、叩くよう要求する。一方、懺悔室の中で、アグネスは、神父に向かって、「私は、心、信仰、仕事で不貞でした〔一種の決まり文句〕」。「一人で、それとも、他の人と?」。「2人で」。「いつ、どこで?」。「毎週木曜日、Tischler路地で」。「そんなおぞましい場所で、何度もか?」。「どうしようもないのです。止めたくても、止められません」。「その結果は?」。「もう宿っています」(2枚目の写真)。その時、急にブリキの太鼓が叩かれ始めたので、神父は懺悔室から飛び出して行く。そこでは、天使像が叩いてくれないので、代わりにオスカルが天使の首にかけた太鼓を叩いていた(3枚目の写真)。彼は、直ちに引きずり降ろされるが、怒って神父の足を蹴飛ばし、母に押さえられ、泣き出す。その時、母は神父に、「私はオスカルが大好きです。でも、もう14歳なんです」と言う〔1938年9月頃になる〕。神父は、「祈りなさい」と言っただけ。
  
  
  

アグネスの様子はますます異常になっていく。そして、ある日、店に客がいなくなると、棚からオイル・サーディンの缶を1個取り出し、手づかみでイワシを手に取ると、それを口に入れる(1枚目の写真)。オスカルは、それを店の片隅でじっと見ている。そして、その3週間後、あまりの異常な状況に、アルフレートがアグネスの母アナを店に連れてくる。2人が店の外からショーウィンドー越しに中を覗くと、アグネスがマティエス〔ニシンを塩水に漬けて膵臓から出る酵素で発酵させたもの〕を、樽から貪るように食べている(2枚目の写真)。アルフレートは、途方に暮れていると話し、アナは、なぜもっと早く呼ばなかったのかと責める。アナは、「どうしたんだい? 魚は嫌いだったじゃろ?」と訊く。そしてさらに、「生きていたくないし、死にたくもない、じゃろ?」とも。「分からない。いろいろなことが一杯あり過ぎて」。アナは、コリャイチェクが水に飛び込んでいなくなった時のショックについて話すと、アグネスは、「でも、いなくなってくれたわ!」と ひどいことを言う。アナは、「お前には2人も男がいるのに、もっと欲しいのかい?」と訊く。「違うわよ!」。「妊娠したんだね? だから何さ。ここは広いじゃろ。いつ産まれるんだい?」。この鋭い母の言葉に対し、アグネスは全否定する。このアパートには、1階に共同便所があるだけのようで、アグネスは、男の住民が出てきたのと入れ替わりにトイレに入る。心配したアルフレートは、ドア越しに、「なぜ 子供が欲しくないんだ? 誰の子だって構わないぞ」と寛大な言葉をかける。オスカルは、ドアをドンドン叩いて、「ママ!」と叫ぶ。ここから先に、ごく短い、ディレクターズ・カットのが挿入される。それは、トイレの中で、アグネスが自殺した瞬間だ(3枚目の写真)〔どうやって死んだかは分からない〕〔トイレットペーパーが、切り刻んだ新聞紙とは…〕。オリジナル版では、このシーンがなく、いきなり墓地での埋葬シーンとなる(4枚目の写真)。埋葬に弔意を表わしに来たマルクスは、ユダヤ人ということで 邪険に追い払われる。
  
  
  
  

この場面は、恐らく 「水晶の夜〔Kristallnacht〕」であろう。水晶の夜とは、ナチの主導により、1938年11月9-10日の夜に起きた事件で、ドイツ全土の1000を超えるシナゴーグ〔ユダヤ教会〕が焼失・損傷した。暴徒が約7500のユダヤ人企業を略奪し、ユダヤ人の病院、学校、家、墓地を破壊、約3万人のユダヤ人男性が逮捕され強制収容所に送られた〔Britannicaによる〕。1枚目の写真は、燃えるシナゴーグ。2枚目の写真は、破壊されるマルクスの玩具屋〔オスカルが見ている〕。心配になったオスカルが店の中に入って行くと、マルクスは自殺していた(3枚目の写真)。オスカルは、開いたままのマルクスの目を閉じてあげる。
  
  
  

次のシーンは、ドイツによるポーランド侵攻の場面。オスカルは、ヤンと一緒にポーランド郵便局の前までやって来る。すると、ヤンは、ナチの腕章をしたドイツ人の市民により、中に入ることを禁止される。しかし、オスカルは壊れた太鼓を直してもらいたい一心で、郵便局に向かって走って行き(1枚目の写真)、仕方なくヤンもオスカルの後を追う。ヤンが建物の中に入ると、すぐに銃とヘルメットが渡され、オスカルを安全な場所に連れていくよう命じられる(2枚目の写真)。そして夜。ヒットラーがベルリンの国会議事堂前で戦争宣言をした時の声がラジオから流れてくる。「(1939年)9 月1 日、帝国の領土が攻撃された。昨夜、ポーランド人が奴らの正規軍と共謀し、我らが領土に向けて発砲した。今朝5時45分、我が軍は反撃を開始した」〔これが、第二次世界大戦の発端〕。この「戦闘」の舞台となったのが、ポーランド郵便局。ディレクターズ・カットでは、第二次世界大戦当時の記録映像が何回か挿入されるが、3枚目の写真()がその最初〔8月25日にグダニスク港にいた練習艦Schleswig-Holsteinによる、グダニスクの手前にあるWesterplatte半島の要塞化された弾薬庫に向けた砲撃〕
  
  
  

郵便局の建物は、自走砲による砲撃と、ドイツ兵による銃撃で破壊され、オスカルは一時ヤンとはぐれるが、必死になって居場所を突きとめる。そこでは、コビエラが窓から銃で果敢に撃つ半面、ヤンは指で耳に栓をして 部屋の隅に縮こまって隠れている。その部屋に入って来たオスカルは、棚の一番上に置いてある真新しい太鼓に目を留める。そして、棚の所までイスを持って来ると、何とか太鼓を取ろうとするが、手が届かない(1枚目の写真)。そこで、「ヤン、太鼓が欲しい!」と叫ぶ。その声を聞いたコビエラは、オスカルが極めて危険な場所に立っているので、駆け付けて、すぐにイスから降ろす。そして、すぐに隠れろと言うが、わがままなオスカルは、「太鼓が欲しい!」とつっぱねる。3歳の大きさだが、実際は、あと10日で15歳になろうというのに、精神的にも3歳児だ。仕方なくコビエラはイスに上がって太鼓を取ろうとして、背中に銃弾を受け、おまけに砲撃で天井が落下する(2枚目の写真、矢印はコビエラ)。棚から転がり落ちた太鼓を、オスカルが拾い、降りかかった粉を丁寧に払う〔コビエラのことなど、どうでもいいといった感じ〕。次のシーンでは、地下室に逃げたヤン、コビエラ、オスカルの3人がトランプをしている。コビエラは、意識がもうろうとしていて自立できないので、ヤンが、コビエラのズボン吊りを後ろの籠に引っかけている(3枚目の写真、矢印はズボン吊り)。
  
  
  

その間にも砲撃で郵便局は大きな損傷を受け、戦闘能力がゼロに近くなったので、ドイツ兵が突入して行く(1枚目の写真)。一方、地下室では、銃弾を浴びたコビエラが死亡する〔すべてオスカルが悪い〕。そして、地下室にまで飛び込む砲弾(2枚目の写真)。建物内に隠れていた局員と兵士は、手を上げて降伏する。ヤンやオスカルたちが隠れていた地下室にもドイツ兵がやってきて、ドイツ兵に連行され(3枚目の写真)、壁に向かって立たされる。オスカルは、小さな子供に見えるので、ドイツ兵が背負って連れ出す。この先どうなったのか。映像では示されないが、ポーランド郵便局での戦闘では57 人が降伏し、全員が死刑を宣告されたと書かれているので、ヤンも死亡する〔オスカルは、太鼓のために、ヤンとコビエラの2人を殺したことになる〕〔なお、この郵便局のシーンは、ユーゴスラビア(現・クロアチアの首都)のザグレブで撮影された〕
  
  
  

このあと、オリジナル版では、いきなり “海岸近くの廃墟” に飛び、“母の葬儀の時に出てきた墓守” から、ヤンが射殺されたことを知らされる。しかし、ディレクターズ・カット版では、オリジナル版の 「ヒットラーの凱旋シーン」が先に回される。両者を比べると、後者の方が違和感は少ない。ドイツ軍に制圧されたダンツィヒ(もう、グダニスクではない)の通りは、総統を迎える住民と兵士で埋め尽くされている(1枚目の写真)〔正面に見えるのは聖マリア教会〕。群衆の中には、アルフレートに連れて来られたオスカルや、グレッチェンとその夫、グレフとその息子が一箇所に固まっている。そして、総統の車が来ると、全員が右腕を掲げる(2枚目の写真)〔オスカルは背が低いので見えない〕。そして、右手を掲げたヒットラーの車が人並みの前を通り過ぎるシーン(3枚目の写真)が7秒続く〔これだけの人数を7秒間途切れさせないためには、相当数のエキストラを道路に沿って並ばせておかないといけない〕
  
  
  

ヒットラーの行進の後に、短い、ディレクターズ・カットが入る。“母の葬儀の時に出てきた墓守” が、オスカルを見つけて 「俺は主を見た。一緒に来いよ。見せるものがある」と声を掛ける(1枚目の写真、)。この場面の次が、1つ前の節で言及した ”海岸近くの廃墟”。オスカルは、墓守に 「あいつら、ヤンを殺したの?」と訊く(2枚目の写真)。墓守は 「ああ」と言うと、後ろの煉瓦壁を指差す。そして、薬莢を1つ取り出してオスカルに見せると、「奴らは、薬莢を全部回収した。これ1つを除いて」と言い、それをオスカルに渡す。一方、アルフレートの食料品店の前に、アナが手綱を取った1台の荷馬車が到着する。横には、可愛い女の子が乗っている(1枚目の写真)。アナは、アルフレートに向かって、「この子がマリアだよ。ここで働きたいそうな。お客を扱うのに誰かいるじゃろ?」と、店の外からアルフレートに大声で話す。オスカルは、マリアが素敵な女性なので、思わずにっこりする。オスカルが 子供用のベッドに横になると、マリアは 「恵みあふれるマリア、主はあなたとともにおられます…」と祈りを捧げる〔お手伝いのマリアと、聖母マリアと同じ名前〕。そのあと、オスカルの希望で、マリアの吹くハーモニカに合わせてオスカルが歌う。「♪私は、心からマリアを愛します。喜びと悲しみの中で、私はマリアに仕えます」(18世紀の讃美歌)〔オスカルは、この “マリア” を、聖母ではなく、お手伝いのマリアとして歌っている〕
  
  
  

ここから、問題のあるシーンが続く。最初は、海岸での海水浴。オスカルは、頭に雑誌を開いて乗せて日光浴をしているマリアの真横に座る(1枚目の写真、右横にいる小さな女の子はオスカルに気があるのだが、15歳のオスカルには邪魔になるだけ)。オスカルは砂をすくうと、マリアのおへそにかける。「マリアは、僕が愛した最初の女(ひと)だった」。マリアは、くすぐったくて、覆いを取ってオスカルに笑顔を見せる。そして、網籠から小袋を取り出す。それは、今、日本で売っている「アワモコモコ」のような発泡性パウダー。マリアは袋を破ると、口の中に突っ込んだ人差し指を 袋に突っ込む。そして、粉のついた指を立てると、その粉のついた指をオスカルが舐める。そのオスカルが舐めた指を、今度はマリアが舐める。次は、残った粉を、オスカルがマリアの手の平の上に空け、その上から唾を落とす(2枚目の写真)。唾で膨らみ始めた粉を、マリアが口に入れる(3枚目の写真、矢印)。今度は、マリアが両手を砂の上に広げて置き、オスカルがその上に粉を撒いては、ペロペロ舐める。マリアは、子供相手の遊びだと思っているかもしれないが、オスカルにとってはセクシャルな行為だ。
  
  
  

家で、階段を掃除しているマリアに、オスカルは 「幾つなの?」と訊く。「16よ」。「僕もだよ」。「信じられない」〔マリアは 信じたのだろうか?〕。そして、この映画で最も有名、かつ、問題の多いシーン。オスカルとマリアは、再び海水浴に行き、更衣室に2人で入る。マリアは、まずオスカルを裸にし(1枚目の写真)、黒い水着を履かせる。それが済むと、今度はマリアが裸になり、相手が16歳だと思っていないのか、平気で全裸の姿をオスカルの前に曝す。それを見たオスカルは、目が飛び出るほど驚く(2枚目の写真)〔有名な写真〕。そして、何と、そのまま前に進み出て、マリアの外性器に顔をつける(3枚目の写真)〔衝撃的〕。そのうち、マリアが、「何してるの? ちょっと、やめて」と言うので、舌で舐めたのか? マリアは、怒ってオスカルを突き飛ばす。更衣室の角にうずくまったオスカルは泣き出す。マリアは、そんなオスカルをつかむと(4枚目の写真)、自分の方を向かせ、「このわんぱく小僧。何したのか、何も分かってないくせして」と言い、オスカルを抱きしめる。
  
  
  
  

オスカルと全く関係がないが、ここで9回目のディレクターズ・カットが入る。アルフレートが、ナチの一員として、ドイツの強さを自慢する件(くだり)だ。「フランス全土は5週間。我軍は海峡に達する。敵は目と鼻の先だ。イギリスに唾を吐きかけてやれる」「この俺、アルフレート・マツェラートは、セルリーダー〔Zellenleiter、4-8のブロック(街区)の管理を担当するナチ党の階級で、下から2番目。ヒットラーをトップとするナチ党の、8つの階級の7番目で、1939年の段階で97161人いた(最下位のブロックリーダーは51万人強)〕。マリアは、アルフレートの胸に、ナチ党の党員バッジを付け、雇い主の昇進を称賛する(1枚目の写真、)。アルフレートは外に出ると、見送りに来たオスカルに、「今日は、マリアと一緒に寝ていいぞ」と言って、夜の街に自転車で出かけて行く。2人は、階段を駆け上がり、マリアの部屋に行き、寝間着姿になると、狭いシングルベッドに入る。マリアは、「お休み」と言って一旦電気を消すが、オスカルはサイドテーブルにあった発泡性パウダーの小袋を取り上げて、背を向けて寝ているマリアに向かって振る。その音で気付いたマリアは、クスクス笑って電気を点ける。そして、オスカルから袋を取ると、以前のように、自分の手の平に粉を入れ、オスカルに唾を入れさせる(2枚目の写真、矢印)。粉は水分を含んで膨らみ始め、マリアはそれを舐める(3枚目の写真、矢印)。
  
  
  

オスカルは、マリアから袋を奪うと、シーツの中に潜って行き、マリアのおへそに粉をかけ、唾を入れると、膨らんだ粉を指で触って口に入れる(1枚目の写真、矢印)。そして、そのまま、おへそに吸い付いて粉を舐める。最初は平気な顔をしていたマリアが、急に驚いたような顔になる(2枚目の写真)。マリアは恥かしくなって電気を消す。シーツをかぶったオスカルが腰を動かしているので、セックスをしているとしか思えない(3枚目の写真)〔これも、問題のシーン〕
  
  
  

翌日、オスカルが外から戻ってくると、アルフレートの寝室からマリアの激しい声が聞こえる。「あとちょっと! 気をつけて!」「もうすぐよ! 気をつけて!」(1枚目の写真)。オスカルは、マリアが浮気して、アルフレートなんかと激しいセックスをしているのを見て怒り心頭。マリアが妊娠しないように、アルフレートが射精寸前でペニスを抜く直前、ベッドの上に乗ると、太鼓をアルフレートのお尻に全力で押し付け、動けなくする(2枚目の写真、矢印は太鼓)。お陰でアルフレートはマリアの膣内に射精してしまい、まだ16歳のマリアは、悲痛な悲鳴を上げる。アルフレートは、「この野郎」とオスカルを突き飛ばす。マリアは、「子供にせい? あなたが注意しないからよ」と食ってかかる(3枚目の写真)。アルフレートは、「『あとちょっと』と言ったじゃないか!」と反論し、マリアは、「『もうすぐよ! 気をつけて!』と言ったのよ!」と再反論。結局、怒鳴り合いとなり、アルフレートはマリアを罵倒して出て行く。泣いているマリアを見るオスカルの顔が怖い。そこには同情のかけらもない。
  
  
  

マリアは立ち上がると、キッチンに行き、洗面器に水を汲んで来て、食堂のイスに置き、その上に跨って、妊娠しないように膣を洗い始める。その横に来て、その姿を見ていたオスカルは(1枚目の写真)、洗い終えてテーブルに顔を伏せて泣いているマリアの手を取り、そこに発泡性パウダーをかけ、唾を垂らす。それに気付いたマリアは、「この、いかれた小鬼め〔Du übergeschnappter Gnom〕! 気違い病院にでもお行き〔Du gehörst in die Klapsmühle〕! 汚れた豚めが〔Drecksau〕!」と罵ると、オスカルを思い切り 蹴飛ばす。オスカルは、部屋の隅で嘘泣きを始める(2枚目の写真)。言い過ぎたと思ったマリアが、「そんなつもりじゃなかったの」と言い、オスカルの頭を撫でると、オスカルは、全力を込めて握りこぶしをマリアの下腹部に叩きつける(3枚目の写真)。これで、妊娠は確実となった〔何という嫌な性格。人を不幸にさせることしか考えない〕
  
  
  

先程のシーンから9ヶ月半ほど経った ある日の光景(1枚目の写真)。マリアのお腹は、いつ赤ちゃんが産まれてもいいほどに大きくなり、それを暇そうなオスカルが見ている。オスカルは、立ち上がると、横の箱の上に置いてあったハサミを取り上げる。それ気付いたマリアは、すぐにオスカルの腕を押さえ(2枚目の写真)、ハサミを取り上げる。このシーン、オスカルが ハサミでマリアのお腹を刺そうとしたようにも受け取れるが、原作では、オスカルは、産まれてくる赤ちゃんは自分の子だと思っている〔オスカルの方が、アルフレートより先にセックスしたから〕。オリジナル版では、この後、オスカルと八百屋の妻フラウとのセックスシーンと、八百屋グレフの短いシーンがあるが、ディレクターズ・カット版では、それらは後回しにされ(八百屋のシーンがもっと長く、八百屋が自殺するため、八百屋の登場する次のパーティ場面と順序を変えないと齟齬をきたすため)、マリアの赤ちゃんが もうベビーバスケットに寝ているシーンへと移行する(3枚目の写真)。この写真で、ナチの極小旗を持っているのが、その八百屋グレフだ。パーティは、アルフレートが、ナチスの輝かしい勝利を祝って、自分のアパートで開いたもの。マリア、アナ、パン屋の夫婦、八百屋の夫婦ら7人が食卓に座り、アルフレートが自ら作った料理をふるまい、マリアがサポートしている。オスカルは、アルフレートとマリアの対面に座っていたが、2人が仲良くキスしたのを見ると、立ち上がって、ベビーバスケットを押して隣の部屋に行き、赤ちゃんを抱いて、「クルチェン、僕の息子、お前が3つになったら、太鼓をやる。その時、大きくなりたくなかったら、やり方を教えてやる」と言う〔ここは、上に書いたように、原作通り〕
  
  
  

オスカルが 雪の残った歩道を歩いていると、「オスカルちゃん」と呼ぶ声が上から聞こえる。オスカルが振り返って見上げると(1枚目の写真)、八百屋グレフの妻フラウが、寒いから部屋までいらっしゃいと誘う。オスカルがドアをノックすると、フラウは下着の上にガウンを羽織っただけのラフな格好だったが、一応、ボタンをはめて下着が見えないようにする。そして、オスカーが入って来ると、「もっと近くに来て」と声をかけ(2枚目の写真)、「暖かいからお布団の中に入りなさい。ここは、すごく寒いわ。グレフは、暖房をケチるから」と言うと、自分からベッドに入る。オスカルは太鼓を床に投げ出すと〔以前ほど、大切に扱わない〕、コートを脱ぎ、クツを履いたままベッドに入る(3枚目の写真)。「グレフは体を鍛えたいの。グレフは若くて鍛えた体が好きなの。それも、女の子より、男の子の方が」〔ゲイ〕。そのあと、カメラは、窓の向こうに飾られた男根を思わせる鉢植えのサボテンを映し続ける〔オスカルの2度目のセックス〕
  
  
  

そのグレフは、吹雪の中、自転車に乗ってきた3人の男の子と一緒に、「果物と野菜」と書かれた自分の店に入って行く(1枚目の写真)。オリジナル版では、4人が店に入るところで このシーンは終わり、2つ前の節の赤ちゃんのベビーベッドのシーンに変わる。ディレクターズ・カット版では、店の中で何があったかが映される。グレフと1人の少年が、背中を合わせた状態で、別の少年に頭の上に上げた両手をロープで縛られる。そして、グレフが頭を床に届くまで屈めると、反対側にいた少年がUの字形に体を反らせる(2枚目の写真、矢印はグレフの右脚、)。1人の中年男が、店のガラス越しに その様子を窺っている。その後、黒い車がグレフの店の前に乗りつけ、黒服の厳めしい男が2人降りてきて、店のドアを足で蹴る。何事かとグレフがドアから出て来ると、何かを告げる。次のシーンでは、店の奥で、グレフが かなり重そうな布袋を吊ったロープを 力を込めて引っ張り、天井近くまで上げている。そして、夜。ドアの開いた店の中からフラウの悲鳴が響くと、彼女がドアから飛び出してきて、「助けて!! 神様!! お慈悲を!!」と叫ぶ。オスカルが店の中に入って見たものは、首を吊って死んだグレフだった(左側の額は、ミケランジェロのダビデ像の写真、グレフとダビデの間の下部に重そうな布袋、〔原作には、自殺の原因は、少年との不適切な関係を密告され、出廷命令を受けたからとなっているが、映画を観ている限り、非常に分かりにくい。事前の少年とのロープは健全な体操のように見えるし、前節の「グレフは若くて鍛えた体が好きなの。それも、女の子より、男の子の方が」だけでは、自殺と結び付けにくい〕
  
  
  

ここで、オリジナル版に戻る。どこかの建物のドアが開き、拍手とともに、サーカスの団長をしていた小人症のベブラと、初めて登場する、同じく小人症の女性のロスヴィータが軍服を着て現れる。そして、制服姿の軍人達が、2人にサインをお願いする(1枚目の写真)。ベブラの階級は、肩章から大尉〔Hauptmann〕、ロスヴィータは少尉〔Leutnant〕。サインを終えたベブラは、脇に腰を降ろしているオスカルに気付き、「親愛なるオスカル。会えて嬉しいよ」と、両腕を広げて会いに行く。「分かってたんだ。私たちは、見失うには小さ過ぎると」(2枚目の写真)。善良さの塊のようなベブラは、一緒に現れたロスヴィータの前までオスカルを連れて行くと、「紹介しましょう。ガラスを歌わせる古き友、オスカルです」と、彼女に紹介する。そして、オスカルには、「シニョリーナ・ロスヴィータ・ラグーナ」と紹介するので、彼女はイタリア人だ。オスカルは、ロスヴィータが差し出した手の甲にキスする(3枚目の写真)。
  
  
  

3人は誰も客のいない喫茶室に入ると、ベブラが状況を説明する(1枚目の写真)。「君は、私が軍服を着ているのに驚いているね。だが、宣伝省がやって来て、最高指導部の前に行くよう求めたんだ。ふざけた政治だな! 今は、前線兵士の慰問をやっている」。オスカルは、ロスヴィータを見ると、彼女がテーブルに置いたワイングラスを手元に持って来ると、低く抑えた悲鳴を出し、グラスにハートの模様の傷をつける(2枚目の写真)。そして、「オスカルからの贈り物」と言って、ロスヴィータに渡す。彼女は、「ありがとう。とってもありがとう、オスカルちゃん〔Oskarello〕。才能があるのね。一緒に参加してもらえない? それとも、ここにいたいの?」と、イタリア語で訊く。それでは通じないので、ベブラは、「一緒にやろうじゃないか、太鼓叩いて。ビールグラス、電球、シャンパングラスを割って。美しきパリのドイツ占領軍は、君に感謝するぞ」と誘う。そして、ディレクターズ・カットで挿入された2つ目の記録映像(3枚目の写真、)。ヒットラーのようにエッフェル塔の前まで行った一行。ベブラは、「パリにおられる親愛なる戦士の皆さん。ベブラの前線劇団は、歌い演じることで皆さんの最終勝利を応援いたします」と言って手を振る(4枚目の写真)。このシーン、本当に群集がいたとは思えない〔ベブラが、パリに着いた “景気付け” に、エッフェル塔の下でおどけて叫んだだけ? 理由は、①群衆が映らない、②拍手がない、そして、なんといっても、③その直後にオスカルがロスヴィータに話しかけ、頬にキスする〕
  
  
  
  

今度は、実際の大宴会場の舞台の上。大きな鉤十字が付いた幕の中からベブラが現われ、多くの食卓テーブルについたドイツ将校と看護婦長の前で挨拶する。「親愛なる皆さん。さてさて、フランスでは初めての奇抜な芸をご覧下さい。皆さんお聞き及びの奇跡の武器をもつ男、太鼓叩きのオスカル、ガラス殺し〔Glas-Töter〕のオスカルです!」。オスカルが舞台に顔を出し、拍手が起きる。オスカルは、斜め後ろ〔カメラの方〕を向くと、太鼓を叩きながら、ロスヴィータが手に持ったグラスの上部を粉々に吹き飛ばし(1枚目の写真、矢印)、喝采を浴びる。ここで、オリジナル版と再度順序が入れ替わる。ノルマンディー海岸の前線基地の慰問シーンの後に入っている大宴会場の場面を、わざわざ分離せずに、オスカルの芸の後に連続させたのだ〔同じ会場で、観客も同じ(最前列の円卓の複数の人物が同じ)なのに、分ける方が可笑しい。ここは、ディレクターズ・カットの方が絶対に正しい〕。オスカルの次は、ロスヴィータによる読心術の披露。ベブラが、目隠しをしたロスヴィータに、Herzog中尉の生年月日を訊き、彼女は、ついでに出生地を追加する〔これは冴えない。その場で候補者を選ばせずに 最初から相手が決まっているのなら、数字と地名を予め調べておくだけでいい〕。心なしか拍手が少ない。そこに、他の団員が中尉にシャンパンを持って来る。ロスヴィータは、「シャンパンが運ばれてきました。でも、あなたはそれを飲めません」と告げる。すると、オスカルが悲鳴を上げ、遠く離れた中尉のグラスだけが割れる(2枚目の写真、矢印)〔他のテーブルにもグラスが一杯置いてあるので、指向性が凄い〕〔拍手はこちらの方がずっと多い〕。その後は、舞台正面のテーブルのない空間を使ってベブラが一輪車に乗り、そのあとを、太鼓を叩きながらオスカル、そして、団員による3つの吹奏楽器の演奏が続く。観客の手拍子に合わせ、踊り出すカップルも出始める(3枚目の写真、矢印はオスカル)。その時、照明が消え、空襲警報が鳴る〔1943年の初めに、連合軍が一度パリを空襲した〕。オスカルは、ロスヴィータと同じテーブルの下に隠れ、2人は何度もキスを交わす(4枚目の写真)。
  
  
  
  

ここで、場面は切り替わり、劇団はノルマンディー海岸の前線基地を慰問する。コンクリートのトーチカの中で、何の変化もない単調な日々を送っている兵士にとっては、歓迎すべき一瞬だ。伍長の、万事異常なしの報告を受け、一列に並んだ団員と、案内係の将校が敬礼する(1枚目の写真)。将校は兵士に 「ご苦労、休んでよし」と言い、次に、ベガスに向かって 「『万事異常なし』… いつもこんなです」と説明する。オリジナル版では、この言葉は、1枚目の写真と同じ位置で話されるのだが、ディレクターズ・カットでは、1+6人の立ち位置がよく分かる2枚目の写真()の状況で発せられる〔この方が、慰問らしい〕。この僅か5秒の追加シーンの後は、オリジナル版に戻る。そこでのメインは、肩を抱き合って海を眺めるオスカルとロスヴィータ。その直後、今度は40秒余りのディレクターズ・カットが挿入される。それは、2人の恋心を強調するもので、“葉の形に似せてカットされたカモフラージュネット” の前で手を重ね合い、目を見つめ合う(3枚目の写真、)。そこに現れたベガスは、「子供たち、キスしなさい。今日は、コンクリートだ。明日は、コンクリートの粉で唇がざらざらし、キスどころではなくなる」と、優しいところをみせる。
  
  
  

ここでオリジナル版に戻り、トーチカの上で全員が演奏して慰問を果たすと、兵士からプレゼントされた籠と木箱の中身の食料で屋上ピクニック。ベガスのアコーディオンをバッグに、前線にしては豪華な昼食をエンジョイする(1枚目の写真)。特に、オスカルとロスヴィータは夫婦のように仲睦まじい。ここで、慰問場面で3度目のディレクターズ・カット。一番長くて2分間続く。前半の1分半弱は、ベガスが伍長に海岸の砂浜に5つの黒い点が動いているのを見つけて、あれは何かと訊く。伍長は、Lisieux(リジウー)の修道女達で、引き潮の時に、ムール貝とカニを獲りに来るのだと答える〔リジウーから海岸まで最短で27キロもある〕。すると、トーチカに電話がかかってくる。伍長が大急ぎで降りて行き、トーチカ内の電話に出ると、掛けてきたのは近くの砲台の将校。「伍長、前方で動きがあるぞ。貴様はめくらか?」。「修道女であります、中尉殿」。「第五列〔Fünfte Kolonne〕(スパイ)だったらどうする? 浜辺を一掃しろ。立入禁止区域だ」。「カニを集めているだけです。自分は知っております」。「これは命令だ!」。「はい、中尉殿」。トーチカの伍長は、機関銃で修道女達を射殺し、彼女達は昇天していく(2枚目の写真、5つの矢印は死体、)。これに続いて、3つ目の記録映像(3枚目の写真、)が入る。1944年6月6日のノルマンディー上陸作戦だ。
  
  
  

オリジナル版では、この後に、前述の大宴会場の舞台の後半が入る。ディレクターズ・カットでは、それはもう済んでいるので、その後の、ドイツ軍が占領した小さな城の一室での、オスカルとロスヴィータのベッド・シーンとなる。2人はシーツの中に入り、目を合わせてほほ笑む(1枚目の写真)。朝になり、2人が眠っていると、ドアがノックされ、ベガスが飛び込んで来て、「アメリカ兵が来る」と言う(2枚目の写真)。オスカルは全裸で飛び出して、急いで服を着る(3枚目の写真)〔オスカルの3回目のセックス〕
  
  
  

城から外に出た団員たちは、幌付きトラックに乗り込むが、ロスヴィータが、「コーヒーを飲まないと」と言い出し、オスカルが必死に止める(1枚目の写真)。しかし、ロスヴィータはトラックから降りると、コーヒー配給所まで走って行き、そこで係員から金属のコップに注いでもらう。一口飲んで、「ありがとう」と言った時、砲弾が配給所を直撃する。それを見たオスカルは、「ロスヴィータ!」と叫ぶ(2枚目の写真)。他の団員が、オスカルが外に出て行かないよう、3人掛りで押さえる。そして、ロスヴィータの悲惨な姿が映る(3枚目の写真)。
  
  
  

ロスヴィータを除く団員達を乗せた幌付きトラックは、破壊されたダンツィヒの通りを走っている。オスカルの顔にはまるで生気がない(1枚目の写真)。「ロスヴィータ、僕は君が幾つだったかも知らない。僕が知っていたのは、君にシナモンとナツメッグの匂いがしたことだけ。君は、すべの人の心を読むことができたけど、自分の心だけは読めなかったんだ」。オスカルは、懐かしい街角まで来ると、ベブラと常(とわ)の別れを告げ、トラックを降りる。そして、トラックが見えなくなるまで、ずっと手を振り続ける(2枚目の写真)〔大掛かりなセット〕。オスカルは、自分の太鼓と、包装紙でくるんだ新しい太鼓を持つと、アルフレートのアパートのドアの前で太鼓を叩く。それを聞いたアルフレートがドアを恐る恐る開け、それを見たオスカルはアルフレートに抱き着く(3枚目の写真)。オスカルが中に入って行くと、ピアノの上にラジオの置いてある部屋には、マリアとその息子がいた。マリアは、息子に向かって 「クルトちゃん、信じられる? オスカルはあなたの誕生日に戻って来たのよ」と声を掛け、アルフレートはオスカルに 「お前の弟は、今日3歳になるんだ」と教える。オスカルは、「君への贈り物があるよ」と言って 太鼓を渡す。マリアは、オスカルが、ドイツ軍の少尉の軍服を着ているので、「軍服なんか着てていいの? どこに行ってたの? あちこち捜したのよ。警察も来たから、あんたを殺したんじゃないって、宣誓しないといけなかった」と批判する。しかし、アルフレートが止めさせ、結局、「戻ったのね」と笑顔になる。
  
  
  

ここからが、ディレクターズ・カット版の追加シーン(写真は3枚とも)。アルフレートは、「腹が空いてるだろうから、何か作ってくるよ」と優しいが、マリアは 「私たち、あんたのことで大騒ぎしたから、あいつら、あんたを施設に入れるつもりよ。それも当然ね。黙って逃げ出したんだもの」と、さらに厳しいことを言う。それでも、アルフレートは笑顔のまま。次のシーンでは、オスカルが アルフレートの店の前を歩いていると、老人が、「逃げろ、トレンチコートだ」と囁く。そして、突き当りのビルの前に停まっている車を指す(1枚目の写真、矢印)。アルフレートが、ドアを開け、オスカルを中に引きずり込む〔オスカルは、外出禁止なのに外に出た?〕。そして、店に入ってすぐの床板を上げると、オスカルを中に入れる(2枚目の写真、矢印)。革のトレンチコートの2人が店に入って来て、「ヒットラー万歳」と言うので、ここはまだドイツの支配下にある。2人が来た理由は、異常な幼児を見たという通報があったから。2人は普通の警官ではなく、保険衛生を専門とする係官で、①オスカルの存在には公衆衛生上問題があると主張し、②サイン付きの “オスカルをKohlhammer養護ホームに入所させることへの同意書” があることを告げる(3枚目の写真)〔サインしたのは、恐らくマリア。16歳の自分を妊娠させたオスカルが、よほど憎かったに違いない〕〔ただ、この追加シーンには、大きな違和感がある。オスカルは、ナチの宣伝省により少尉の身分を与えられて慰問団に加わっていたので、それを公にすれば、このような糾弾は起きないハズ。ディレクターズ・カットに入れるべきではなかった〕
  
  
  

ダンツィヒ包囲戦は、1945年3月、赤軍によって開始された。燃えるダンツィヒが映る(1枚目の写真)。アルフレートは、自分がナチと絡んでいた証拠となるような写真や書類を灰皿で焼く。そして、ヒットラーの写真を額から外し、くしゃくしゃにして(2枚目の写真)、焼く。アパートにいても、爆撃の音が響く。そこで、一家4人は地下室に逃げ込む。そこで、避難してきた女性から、アルフレートの胸にまたナチ党の党員バッジが付いているのを指摘される(3枚目の写真、矢印)。
  
  
  

アルフレートは慌てて外すが、どこに隠していいか迷う。その時、上で大きな音がして、動揺したアルフレートは地下室の地面を靴で削って、その中にバッジを置き、靴で踏んで隠そうとするが、そこに、オスカルとクルトが飛んできて、アルフレートの制止を無視してバッジを奪い合う(1枚目の写真)〔なぜ、そんなバカなことをするのだろう?〕〔原作では、アルフレートが落としたので、オスカルが拾ってあげただけ〕。結局バッジを奪ったのは、オスカルだった。その時、地下室の蓋が開き、ロシア兵が降りてきて、手を上げるよう要求する。オスカルは、子供と思われて兵士に抱かれるが、アルフレートの近くに行った時、手に持ったバッジを見せ(2枚目の写真、矢印)、アルフレートに渡す〔せめて、自分で隠し持っていればいいのに。何て悪い奴なのだろう(この時点で、20歳半)〕〔「ナチに協力しておきながら、それを隠蔽して責任逃れをしようとした男への復讐」と、ある評論には書かれていたが、それを父親に対して行うのは冷酷すぎる〕。アルフレートは、隠す場所がないので口に入れ(3枚目の写真、矢印)、そのままではバレるので、無理矢理呑み込もうとする。しかし、バッジのピンが喉に引っ掛かり〔原作による〕、思わず前のめりになり、ロシア兵の背中に当たる。それを反抗だとみなしたアルフレートは、機関銃で乱射されて死亡する(4枚目の写真)〔これで、オスカルが殺したのは、どちらも父親の可能性のあるヤンとアルフレートの両方となった〕〔観ていて、実に不愉快の極み〕
  
  
  
  

最後の記録映像(1枚目の写真、)は、赤軍によるダンツィヒ占領(3月25日)。この後も、ディレクターズ・カットの追加場面が続く。1人の男が、アルフレートのものだった食料品店の割れたショーウィンドー越しにマリアに声をかけ、マツェラートの店かと尋ねる。彼は、強制収容所で妻と6人の子供を殺され、少し気の触れたユダヤ人だった。彼は、赤軍によって強制収容所から解放された後、この店を引き継ぐように指示された。そこで、マリアに、「あなたが望むなら、店員として雇います」と言うが、悲嘆にくれたマリアは何も言わない。ユダヤ人は地下室を見に行き、そこに、多くの食料品が貯蔵されているのを見て喜ぶが、布を被せたままのアルフレートの死体も、そのまま放置してあった。びっくりしたユダヤ人は、「何と! マツェラートさんですか?」とマリアに訊き、彼女は、覆いを取り、「ええ、私の夫でした」と答える(2枚目の写真、)。このあと、オリジナル版に移行し、ユダヤ人の指示で、板を張り合わせただけの簡単な棺を作り、地面に穴を掘り、マツェラートを埋葬する(3枚目の写真、矢印は棺)。
  
  
  

オスカルは、墓穴に収められたマツェラートの棺に向かって冥福を祈りながら、自分の将来について考える。「このまま続けるべきか、止めるべきか? もう21歳だ」(1枚目の写真)。オスカルは、3歳児の姿のシンボルだった太鼓を棺の上に投げる。「僕は成長したい。成長しなければ!」。その時、性悪児に育ったクルトが、オスカルの側頭部に石を投げつける(2枚目の写真、矢印)。気絶したオスカルを見て、一番心配したのはマリア〔3歳の誕生日に地下室に落ちた時の傷とよく似ている〕。墓守は、オスカルの胸に触れて、「成長してる!」と、驚きの声を上げる(3枚目の写真)。「見て、大きくなり始めた。ああ、神様!」。次のシーンで、オスカルは頭に包帯を巻かれてベッドに横になっている。そこに祖母のアナがやって来て、「お前は、これから西にお行き。あっちの方が良さそうだから。祖母ちゃんだけが、ここに残る。カシューブ人は ここから離れられないから」と言う(4枚目の写真)。
  
  
  
  

最後の最後に、1分少々のディレクターズ・カットが挿入される。それは、マツェラート食料品店を引き継いだユダヤ人が、マリアに 自分の妻になって欲しいと頼むもの。マリアが断ったので、ユダヤ人は、マーガリン、蜂蜜の代用品、消毒剤を餞別として贈る(1枚目の写真、)。マリアは、ラインラント〔ドイツ西部のライン川中・下流域〕の姉のところに行くと話す。オスカルは、4輪の箱車のようなものに乗せられ、マリアが押して、店の前から駅に向かう(2枚目の写真)。駅に着くと、オスカルはマリアに抱きかかえられ、汽車に向かいながら、祖母に向かって 「お祖母ちゃん!」と何度も叫ぶ(3枚目の写真)。一家3人は、満員の貨車に乗せられるが、汽車が動き始めても、オスカルは、プラットホームでじっと立っている祖母に向かって、「お祖母ちゃん!」と叫ぶ(4枚目の写真)〔原作の2巻目の最後は、無事ラインラントに着いたオスカルだが、貨車の中で成長を続け(ガラスを割る能力はなくなった)、それが彼を苦しめたため、デュッセルドルフの病院に入院させられる。そして、身長が121cmになったところで退院する。原作の3巻目は、“大人” になったオスカルの話なので、映画が、オスカルが成長を始めるラインラントへの旅の最初で終わったことは、正しい選択だった〕
  
  
  
  

   の先頭に戻る              の先頭に戻る
  ドイツ の先頭に戻る           1970年代 の先頭に戻る